個人運営のWebサイトやBlogを現実世界の「家」に置き換えるたとえ話は本当によく見ます。手法としてはポピュラーすぎて探せばあきれるほど簡単に見つかりますが、とりあえず最近見かけた例を一つだけリンクしておきます。
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なぜ家に例えたがるのかはよくわからないのですが、日本では「Webサイト」のことを「ホームページ」と呼んで、それが一般化しているのが原因の一つかもしれません。「ホームページだから"家"なんだよ」というたとえ話は、確かに初心者には直感的で受け入れやすいようにも思えます。
ただWebサイトをホームページと呼ぶのは元々誤用から来ているので、私は(特別に何かない限り)自分から使うことはありません。一つの知識として覚えておくといいかもしれません。
で、この個人サイトを「家」にするたとえ話なのですが、私は以下の二つの理由からあまり使用をお勧めしません。というかむしろ「やめるべきだ」と考えています。
- Webの特性から考えて、たとえ話として不適切になる可能性が(かなり)高い
- 読み手が(上記のような)たとえ話によって間違った理解をしてしまう
具体例を挙げるときりがないのですが、現実空間と違いWebには以下のような特性があります。
- 距離という概念がありません。リンクさえ張ってあれば、どこからでもワンクリックでアクセスできます。*1
- 表通り、裏通り、家の外、家の中のような場所の概念もありません。アクセス制限しない限り、どこに書いても、何を書いても世界中からアクセスできます。
- 媒体の違いもほとんど意味がありません。Webサイト、Blog、掲示板、SBMなど何を使って書いても誰かに読まれて、言及される可能性があります。
- コピー・引用が極めて手軽です。結果として以下のことが起こります。
- 複製が短時間で大量に増える可能性があります。
- オリジナルを消しても複製品は消せません。
- 他者の管理によって複製が半永久的にWebに残り続ける可能性があります。
また「家」という表現に注目すれば、やはり以下のような大きな違いがあります。
- 玄関とか入り口という概念はありません。どこからでも入れますし、立ち去れます。
- 壁とか窓とかそんなのもありません。すべて丸見えです。プライバシーのかけらもありません。
- 隣とか、近所という概念もありません。物理的に距離が存在しないので、近いも遠いもないのです。
- 仮にBlogが家だとしたら、他のサービスも家に例えないとおかしくなります。
- 明確な理由もなく「Blogは家で、他のサービスは○○だ」というようなたとえ話は混乱を招くだけです。
- パスワードで鍵をかけることはできます。ただし、鍵を持っている人しか見ることができません。*2
2 : 見せたくない人にだけ見せないのは無理、ということ。
たとえ話は理解の手助けになったり、理解を深める役にも立ちます。私もよく使います。
ただ、実態にそぐわないものを無理矢理たとえ話に押し込めると、話が混乱したり、逆に間違った内容になったりするだけでろくな結果になりません。特にWebをそのまま現実空間に当てはめると、実態が違いすぎて「穴だらけ」の主張になってしまいます。これは覚えておいて損はないでしょう。
この記事へのコメント
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大変興味深い話題でした。
ホームグラウンド…本拠地、という意味でのホームなんじゃないかなぁ~とちょっと思ったりしましたが、確かに、家になぞらえられることが多い感じがしますね。
まあ自分が管理している場所という意味で「家」というのを使いたくなる、というのもあるかもしれません。ただいずれにしてもたとえ話に使うには誤解や齟齬が起きる可能性が高く、やめた方がいいと思います。