Google検索などで「チラシの裏+ブログ」などで検索すると本当にたくさんのBlogが引っかかって来ます。一般的かどうかはよくわからないのですが、ジャンルにチラシの裏なんて書いて紹介文にしているところもあるようです。(カテゴリ分けとしての「チラシの裏」なんてのもある模様。)
この「チラシの裏」なのですが、元ネタは2chのテンプレートのようですね。
「ここはお前の日記帳じゃないんだ、チラシの裏にでも書いてろ、な?」が原文。
チラシの裏とは - はてなダイアリー
発祥は2ch? 空気の読めない独り善がりな書き込みなどに対して使われる。
さらに略して「チラ裏」とも。
私自身も「チラシの裏」という言葉自体はよく使うのですが、この場合のチラシの裏は「本当のチラシの裏」つまりWebに繋がっていないローカル(スタンドアロン)な媒体を差しています。それは私自身が(個人)Blogをチラシの裏だと考えていないからです。
ではBlog(Web)を使った「チラシの裏」とローカルな「チラシの裏」。この両者は具体的に何が違うのでしょうか?
「チラシの裏にでも書いてろ」に込められた意味
はてなダイアリーのキーワードでは断定はされていませんが、ここでは「チラシの裏にでも書いてろ」は2chが発祥と仮定して話を進めたいと思います。(セットで書かれるAAはマンガが発祥で間違いないようですが。)
匿名掲示板である2chにこの「チラシの裏にでも書いてろ」のテンプレートが貼り付けられるのは、要するに(発言元に対して)以下のことを言いたいからでしょう。(それが正当な意見かはまた別の問題。)
- スレッドに無関係(独りよがり)な情報を書き込んで邪魔をするな
- 不特定多数が利用するところに(自分にしか)価値のない話を書き込むな
- やるんだったら邪魔にならないところ(自分のところ)でやれ
イントロダクションの引用した部分にも書かれていますが、要するに「空気を読め」ということですね。確かに何らかの情報交換が行われている場所で、いきなり個人の独り言や日記が展開されればこういう反応が来るのはしかたないでしょう。
掲示板(BBS)というのは基本的に複数の人間が何らかの情報をやりとりするところで、それはコミュニケーションを前提とした場所です。コミュニケーションをする場所で、誰も反応のしようがない日記などを書かれても邪魔になるだけです。要するに「邪魔になるからここから出て行け」と言いたくて、その代案として(投げやりですが)「チラシの裏」という単語を使っていると考えられるでしょう。
ブログはチラシの裏になりえるか?
自分の発言スペースを確保するということ
掲示板は一種のコミュニティですから、「空気を読まない」書き込みに対して排除するような発言が出るのは(ある程度)自然なことでしょう。それでは「自分が書きたい独りよがりな話」を自分が管理するBlogに移行すれば問題は解決するのでしょうか?
先ほどの箇条書きにした理由で考えると、1と3は間違いなく達成されます。すでに掲示板の内部ではありませんから、スレッドの空気を読む必要はありませんし、そもそも自分が管理している場所です。日記を書いている自分が一番の権力者だといえるでしょう。
読み手がどう受け取るかは制御できない
ところが、よく考えると2は達成されていません。「Webで公開する」ということ自体が「不特定多数に情報を発信する」ということですから、パスワードでもかけない限り読み手を制御することはできません。もちろん普通はそんなことを気にする必要はまったくないのですが、困ったことに「自分が興味のない情報は全部ゴミだから消えろ」とか「(Blogに書いた意見に対して)Webにまで掲載して人様に意見を押しつけるな」という考え方をする人が少なからずいるようなのです。
僕は以前からよくコメント欄にて「お前の意見を押し付けるな」という苦情を頂いております。しかし、特定個人に向けてトラックバックを送った記事や、文中に名指しをしている記事であればともかくも、単に自分の考えを主張した記事について「押し付け」と受け取る人の気持ちが僕には理解できません。
どういう時に「価値観の押し付け」を感じるか - ekken
例えば、何処かの記事で表明された意見に対して、そんな価値観を押し付けるな!と言ってみたり、自分のブログのコメントやトラックバックに対して、そんな意見を押し付けるな!と言ってみたり、何とか相手の考えを自分の思い通りにしようとしてみたり。
suVeneのあれ: ネット上の言論において価値観の「押し付け」というのは無理
「押しつけるな」というところまでいかなくても、Blogに書かれた話題に反論やネガティブコメントが寄せられることはそう珍しくありません。Web上に何かを書くと言うことは、確率の大小はあるにせよ発言に対するリスクは免れないということでしょう。
「チラシの裏」と「ブログ」の違い
実は少し前にサブBlogの方でこんなエントリを書いています。
これ自体は純粋に「ネタ」なのですが、書いてあることの一部は本気だったりします。今回のテーマなら問題になるのは以下の2つでしょうか。
チラシの裏がブログより優れている10の理由 - インターネットください
- 何を書いても炎上しません。
- 邪魔になったらすぐ捨てられます。魚拓をとられたりキャッシュに残ったりしません。
言い方を変えれば「場合によっては炎上するし、消えて欲しい情報がずっと残り続けるかもしれない」なんてところでしょう。「自分が管理しているスペース」という点で勘違いすることがあるかもしれませんが、個人Blogも間違いなくWebに公開されている誰でもアクセスできる情報であることに違いはないのです。
ブログという「チラシの裏」
自分のBlogやWebサイト(ホームページ)に「チラシの裏」という名前を付けたり、チラシの裏扱いするのは主に以下のような理由からではないでしょうか。
- ネタ帳やメモ帳のとしてのチラシの裏(単純に単語として使っている)
- 「自分のスペースだ」という主張(意味)としてのチラシの裏
- 一種の謙遜としてチラシの裏という言葉を使う
- 本当に(スタンドアロン的な)チラシの裏だと思っている
1~3番までの使い方・認識ならば特に何の問題もないと思います。
しかし、もし4のような「チラシの裏」だと考えているなら気をつけた方がいいかもしれません。個人サイト・Blogは自分(個人)で管理しているため、あたかも「自己のスペース」のように考えがちですが、実際はそうではありません。書く内容や寄せられるコメントを制御できるというだけで、何を書いても大丈夫な「本当のチラシの裏」ではないのです。
前にも書いたことがありますが、冗談ではなく一度発信した情報は世界中から自由にアクセスできます。パスワードなどを設定して「見せたい人にだけ見せる」ということはできますが、(例えば悪意を持った)見せたくない人にだけ見せないということは実質的に不可能です。モニタの向こうの感情や悪意は誰にもわからないのです。(一度何かをした人(IP)のアクセスを拒絶できる場合はありますが、完全ではない。)
大っぴらには言えないし書けないけれど、何かに残しておきたい。といった場合にはやっぱり「本物のチラシの裏」の方が優れているでしょうね。(正確にはローカルなデータや紙の日記帳など。)確かに反応をもらうことはできませんが、安全度という点ではまったく比べものになりませんから。
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