Webにあふれる「つまらないブログ」の正体

つい先日、こんな記事が話題になりました。

――「ブログはつまらない」という話をよく聞きます。

井上 日本のブログは「始まりから終わっていた」んです(笑)。

読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか井上トシユキさんに聞く(上) (J-CASTニュース)

 「Blogブームが終わった」という話ならまだわかるのですが、「読んでもつまらないからBlogは終わった」というのは何とも乱暴な話じゃないでしょうか?そもそもの話として、つまらないBlogが多いのは当たり前なんですよ。

ブログは単なるツールに過ぎない

まず根本的な話として、Blogとは何でしょうか?

アメリカでブログが注目されたのが「9.11事件」の時。ニューヨークの電源ケーブルが落ちてしまい、メジャーメディアからの情報発信がままならないなか、郊外に住んでいたライターやジャーナリストがブログでリアルタイムの情報を発信した。それで、単なる論評や日記ではなく、メジャーメディアに対するゲリラメディア、あるいは草の根ジャーナリズムのツールとしてもブログは使えるね、と認識され発展していくわけです。ところが、当時の日本では、メルマガやテキストサイト隆盛で、ゲリラメディア=ブログというものに対しピンときてはいなかった。

読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか井上トシユキさんに聞く(上) (J-CASTニュース)

上記の話を要約すれば、「日本ではBlogが(ゲリラ)メディアになってない。だから終わっている。(始まってない。)」といったところでしょう。

どうも勘違いがあるようですが、Blogそのものは単なる道具・ツールに過ぎません。Web上で何かしらの情報を発信できる仕組みの一つでしかないのです。

日記Blogは確かに多いですが、これはBlogを日記を書く道具に使っているという状態に過ぎません。Webサイト(ホームページ)に書いても、掲示板に書いても、Blogに書いても、日記は日記です。重要なのは「何が書いてあるか」であって、別に載せる媒体によって価値が変わるわけではないのです。

Blogは手軽に更新できるだけあって日記を書くのにも適していますが、日記以外にも様々な用途に使われています。技術情報、書評、コラム、備忘録、CGサイトなどなど、使い方は人それぞれでしょう。私も他の人のBlogから様々な情報を得て、楽しませてもらったり役立てさせてもらったりしています。つまらないBlogがあったとしてもそれは内容の問題であって、Blogというツール自体に問題があるわけではないのです。

「ブログ」は本当につまらないのか?

「つまらない」って何だ?

引用元によると「ブログはつまらない」という話をよく聞きます。とのことですが、そもそも「つまらないBlog」って何でしょうか?

確かに検索エンジン経由でアクセスしてみて「つまらないBlog」にあたることがありますが、これは大概「興味がない」内容が書かれている場合です。興味がないから面白くありませんし、読まずに終わってしまうのです。逆に興味を引く内容なら「面白い」ということになるのでしょう。(spam Blogはつまらない以前の論外なのでここでは触れません。)

例えば野球について非常に詳しい情報が載っているBlogがあったとします。このBlogを野球好きな人が見れば非常に面白いでしょうし、ぜひ読みたいサイトになる可能性が高いはずです。自分が興味があり、求めている情報(コンテンツ)がそこにあるからです。

それでは野球にまったく興味がない人だったらどうでしょうか?多分そんなBlogに自らアクセスすることはないでしょうが、例え何かの拍子にアクセスしたとしてもすぐ離脱するでしょう。野球自体に興味がないのですから、そこに書かれている情報は退屈で、つまらなく、価値がないものだからです。

つまり、「面白いBlog」「つまらないBlog」という存在自体がWebにあるわけではなく、そのBlogに接したときに「どう感じるか」でその人にとっての「面白いBlog」や「つまらないBlog」が誕生するわけです。「つまらない」というのはあくまで個人の感想でしかないのですから。

発信のハードルを下げたブログという道具

かつてWebで情報を発信するには自分でWebサイト(ホームページ)を持つしかなく、それにはある程度HTMLなどの知識が必要とされました。発信自体のハードルが比較的高かったのです。

ところが、Blogの誕生と普及によりそのような知識はほとんど不要になりました。PCや携帯電話で文字さえ入力できれば、ほとんど誰でもWebに情報が発信できるようになったのです。これによって、Blogというツールにはありとあらゆる情報が掲載されるようになりました。発信する人には事欠きませんから、現在進行形で途方もない量のコンテンツが生産されています。Blogは完全に一般化したのです。

Blogの一般化が大量の「つまらないBlog」を生み出した

ありとあらゆるものに興味がある人、というのはいません。大概の人は自分の興味がある範囲、必要とする範囲の情報しか求めていないはずです。時間的・物理的な制限もありますが、それ以上に「面白くないこと」に(仕事以外で)積極的に時間を使う人はほとんどいません。単純に「つまらない」からです。

要するに、「自分の興味を外れたもの」はすべてつまらないのです。ありとあらゆる情報のBlogがあるのですから、ほとんどの人にとって興味外のBlogの数の方が圧倒的の多いはずです。

興味のある範囲は限られていますから、元々「面白いBlog」なんて全体からみればごく一部しか存在しなかったのです。そしてこれはBlogに限らず、Web上のコンテンツ、ひいては世の中すべてがそうだともいえます。

確かにつまらないBlogはあります。ですが、自分にとって「つまらない」から、他の人も同様に「つまらない」と感じるとなぜ思いこめるのでしょうか?私は不思議でしょうがありません。

「ブログは終わった」と言う前に

Blogが終わったと言ってしまうのは、ツール自体が終わったと言っているのと同じことです。Blogはあくまで人間がWebで情報を発信できるツールの一つです。

それではBlogより遙か昔に誕生したツールである紙とペンは終わったのでしょうか?

ネットでは自ら探さないと「面白いコンテンツ」にたどり着くことが出来ません。WebはTVとは違いますので、画面の前でただ待っていてもコンテンツは飛び込んでこないのです。「Blogは終わった」と考えてしまうのは、Blogというツールに載った「面白いコンテンツ」を見逃してしまう結果になるだけではないでしょうか。

「Blogは終わった」なんて言ってしまうのは、単純に面白いものを探す努力をする気がないだけだと私は考えてしまいますね。