あなたの日記ブログに人を呼び込む4+1の方法

「自分語り」を読んでもらうために。を読んで。

「こんなこと言ったら申し訳ないけどさ、他人の私生活なんか興味ないねんよな……。友達でも何人かブログやってる子おって、見に来てとかコメント書いてとかよう言われるけど、正直困るねん。だってぜんぜんおもろないねんもん」

「自分語り」を読んでもらうために。 (われ思ふ ゆえに・・・)

日記Blogで人が来ないという話は非常によく聞きます。最初から身内の交流ために始めたBlogやサイトならアクセス数など関係ないでしょうが、「世界中に発信できる」という話を聞いて始めた人は予想と現実の落差に愕然とするかもしれません。

参考:アクセス数の理想と現実

残念なことですが、これは大概の場合において事実です。同じ私が運営していたとしても、ここが私の日常を語るだけのBlogだったら未だに6hotだったかもしれません。

アルファブロガーも普通に日記Blogを書いている人も、使っているのは同じBlogというツールです。それなのになぜこのような違いが生まれるのでしょうか?

なぜ日記は読まれないのか?

「日記」というのはBlogに書くネタとしては一番楽ではないでしょうか。何をしても1日は過ぎていきますし、それこそ何もしなくても「何を食べたか」ぐらいは書くことができますからね。Blogのネタとしては定番中の定番でしょう。

しかし日記は出力するのは楽ですが、これでアクセスアップを狙おうとするととたんに難しくなります。日記というのは「自分がその日何をしたか」を書きつづる行為ですが、残念なことに「赤の他人がその日何をしたか」について興味がある人はほとんどいないのです。

これはなぜでしょうか?

理由は「価値のある情報は需要があるが、価値のない情報は需要がない」という社会の「需要と供給」そのままの話になってしまうのです。

日記を読んでもらうにはまず、その日記自体に何らかの価値を作り出さなければなりません。友人・知人や親類は何もしなくてもあなたの日記を読んでくれるでしょうが、これはあなた自身に興味や価値を見いだしているため、結果として出力される情報(日記)に価値が生まれているのです。

しかしながら、世の中のほとんどの人にとってはあなたは他人です。見ず知らずの他人は、大概あなたの日々の行動には価値を見いだしません。むしろ「検索のノイズ」と思っている人も多いようなのです。

日記に価値が生まれるとき

読まれるための需要を生み出すには、日記に何らかの「価値」が必要となります。価値がなければ見向きもされないのは、現実でもWebでも変わりません。それでは具体的にどんな日記なら、Web上に多数ある他の日記を押さえて「読む価値がある」日記になれるのでしょうか。

私が思いつくのは以下の方法です。

書き手自身が著名である日記

いわゆる「芸能人Bolg」や「有名人Blog」が大量にアクセスを得られる理由はここにあります。元が有名人なのですから、「知っている人」「興味がある人」の母数が桁違いです。有名ポータルサイトからもリンクが張られるでしょうし、個人Blogからも大量のリンクが生まれます。またメディア活動の一環としておこなわれる場合も多々ありますから、この場合は企業のバックアップまでついています。

こういう「有名人Blog」の場合、書かれる内容は(公序良俗に反しない限り)ほとんど関係ないといってもいいでしょう。「その人が何かを書く」ということ自体が価値を生み出しているからです。芸能人ならファンも多数いるでしょうから、その日の食事を書いただけでも絶賛されるでしょうね。もちろんアクセス数と本人自体の知名度は比例する(全くの無名なら一般人と変わらないが、多分それは有名人Blogではない。)でしょうが、個人ブロガーとはスタート地点が違いすぎます。

ただこの方法が普通の人に使えるか?と考えると、あまり現実的ではありません。Blogのアクセスアップのために芸能界入りする、というわけにはいかないでしょう。

現実世界ではなくネット上での有名人になるという手もあるかもしれませんが、これでは「卵が先か、鶏が先か」という話になってしまいます。人気サイトを作ればネット上で有名人になるかもしれませんが、それではまず人気サイトを作るところから始めないといけません。それに、そもそも人気サイトを作ることは可能なのか?という話になりそうです。

「読み物」としての価値がある日記

書いている本人自体に興味を持ってもらうのではなく、読んでいて「面白い」と思われる日記を書く方法。いわゆる「エッセイ」です。エッセイが載っている雑誌は数限りなくありますし、人気があるものは単独で書籍にもなります。需要自体は間違いなくあるといえるでしょう。

ただこの方法の問題は、書き手自身に純粋な意味での「文章力」が必要とされることです。何気ない日常があったとして、それを「作品」として書き上げなければならないのです。Blogは商業作品ではありませんから締め切りはありませんが、「手軽に発信」といかなくなるのは確かです。

飛び抜けたセンスがあればさほど考えなくても「良い作品」が生まれるかもしれませんが、大概の人は私を含め凡人なのですから無理でしょう。また、それぐらいの才能があるなら「プロの物書き」になった方がいいかもしれません。そちらの方が「箔」がつくかもしれませんしね。

日常自体が興味深い日記

例え日々の日常をつづっているだけだとしても、その日常が他の人と大きく違って興味深いものなら需要が生まれるでしょう。例えば「中国で活動する日本人スパイ日記」なんてのがあったら非常に面白いような気がします。(実際にはこんなことを書いたら仕事になりませんが。)

とはいえこの方法も現実的とは言い難いでしょう。運良くそういう日常を過ごしていればいいですが、そうでないなら引っ越しや転職をしないといけないかもしれません。(上記の例ならまずスパイにならないといけませんが、スパイってどうやってなったらいいのでしょうか?)Blogのために転職というのはそれだけで話の種になりそうな気がしますが、実行のためのハードルはかなり高いでしょうね。(転職自体をBlogのネタにする逆バージョンなら別ですが。)

実用的な情報を織り交ぜた日記

今まで書いてきたものと違い、かなり現実的な方法です。

例えばあなたがPCを使っていて何らかのトラブルに遭ったとします。「トラブルが起きて困った」という文章自体には価値がありませんが、具体的に「トラブルの原因はこれで解決法はこうだった」という文章にすれば価値は一気に高まります。同じようなトラブルに陥った人が役に立ちますし、多発する問題なら各所でリンクや引用をされるでしょう。

自分の備忘録としてなら「トラブルで困った」だけで構わないのですが、参照されることを考えると不完全な情報はあまり価値がありません。例え自分の日記だとしても、積極的に「読んで欲しい」なら単なる「メモ書き」ではだめなのです。

日記を他の人に読んでもらいたいなら

『誰もあなたのことなんか知りたくないのだ』

例を出して読まれる日記を列挙してきましたが、実はこんなことを私が書かなくてもすでにネタ元に読まれるための「神髄」が書いてあります。

林真理子さんの「文章読本」の中にこんなくだりがある。

「有名人でもなんでもないあなたが誰と食事をし、どういう話をしたかなんて知らされても誰も喜ばない。あなたがどんなふうにご主人と出会い、どんな子育てをしているかなんて聞かされても誰もうれしくない。しかし、そこのところを勘違いしている人がとても多い。

誰もあなたのことなんか知りたくないのだ

素人の人はこのことをまず心に刻みなさい。それでも手記やエッセイを書きたいと思うのなら、相手の耳をこちらに向けられるようおもしろいものを書くための努力を必死でしなさい」

「自分語り」を読んでもらうために。 (われ思ふ ゆえに・・・)

そう、あったままの事実をそのまま日記に書いても価値は生まれません。事実そのものに興味を持ってくれるのはあなたに興味がある人ですが、そんな人がそう簡単に増えるわけがありません。そもそも興味が湧かないものを書き続けたとして、それで興味を持つ人を増やせるのかどうかという問題もあります。

「何をしたか」ではなく「どう考えたか」を書くべき

それでは無名な個人の日記に人を呼び込むのは不可能なのでしょうか?

いえ、私はそうは思えません。今まで書いてきた例のように日記そのものに価値がある場合もありますが、もっと楽で確実に興味を持ってもらう方法があります。それはあなたの考えそのものを書くのです。

面白いことに、世の中の人は他人が「何をしたか」にはまったく興味がありませんが、「どう考えたか」には強い興味を持つ人がたくさんいるのです。最近の例を出すなら、「北京オリンピックの聖火リレーを見た」という文章に興味を持つ人はいませんが、「北京オリンピックの聖火リレーを見て○○に対して○○と思った」という話ならとたんに興味を持つ人が現れます。

自分が「○○をした」という文章はそれ以上まったく話の広がりようがありませんが、「○○と思った」というのは意思表明なので、結果として他の人のリアクションを生むことができます。行動をただ単に書き連ねるだけでは、話はそこで完結してしまうのです。

読み手が増えるのがいいこととは限らない

リアクションしやすい文章が人を呼びやすいのは間違いありませんが、問題点もあります。あなたが気楽に書いた「○○と思う」という日記に多くの反論や罵倒が返ってくるかもしれないのです。これは特に政治や宗教、社会問題の話題でよく見られます。この辺りの話題は個人で信条が違うため、そもそも決着や納得というものがありません。むしろ泥沼に陥るだけでしょう。

また、人気Blogになるということは、それだけ何らかのトラブルを抱える可能性が大きくなるともいえます。

参考:本当は恐ろしい人気Blog

Blogはあくまで発信するためのツールに過ぎません。発信してからの評価を保証するものではありませんし、むしろ厄介ごと呼び込むだけかもしれないという点を考慮した方がいいでしょう。

まとめ

一般人が他の人に読まれる日記を書くには、読み手を考えてその日の行動だけではなく、役に立つ情報や自分の思考を付加して読む価値があるものにするべきだと思います。

読み手を考慮しない書き殴りの文章は書くのは楽ですが、「評価される」のはやはり難しいでしょう。自分の文章は大概において(書いた時点では)いいものに感じますが、他人がそのように考えてくれるかは別の問題です。また、評価するのも自分ではありません。(自分で自分に満点を付けたい、というわけじゃないですよね?)

「読み手を考慮する」のは必要な行動だと思います。「チラシの裏」ではなくBlogに何かを書き、さらに「読んでもらいたい」と考えるならなおさらだ、と私は考えるのです。